くれよんくらぶ669号
大田区議会第4回定例会 代表質問
平成17年12月2日
大田・生活者ネットワーク 内田 秀子
 
 21世紀に入りはや5年も経ちました。20世紀から21世紀に入った時、多くの人の願いは21世紀こそ戦いを繰り返すことのない平和な時代にと期待をしました。それまでの閉塞感から抜け出し何かが変わるだろうと高揚感すらありました。しかしたったの5年で、その期待も虚しく裏切られ、戦争は再び起こされ、環境破壊は留まることを知らず、緑は減少していく一方。エネルギー消費を削減する生活を選択せず、Co2削減目標は達成できるのか、温暖化による災害は年々多くなっているのに食い止める事もできずに、私たち大人は一体、次の世代を担う子どもたちに何を残せると言うのでしょうか。この様な地球規模で語られているそれによると非労働人口のうち、家事も通学もしていない15〜34歳の人を限定すると、2004年のニートの数は64万人にもなっています。
 
 一口にニートと言っても実態は多様です。外出や人との接触を嫌う「ひきこもり型」、働かずに遊び暮らしている「ヤンキー型」、自分のやりたいことが見つからずに考え込んでいる「立ちすくみ型」、就職や仕事の挫折から立ち直れない「つまずき型」と、大きく4つの型に分類されているそうです。この様な人たちは、ひとり一人抱える問題があり、ニートになる原因を怠けや無気力といった個人の資質や家庭の問題と片づけてしまってよいものでしょうか。64万人という数字は、そこに至るまでに社会で支えるべきことがあったのではないかということを物語っていると私は思います。
 
 それを示すものとして、ある研究機関がニートと同世代の最終学歴を比較している調査があります。それによると、ニートの最終学歴は「中学卒」が7.2%、「高校中退」が13.8%であわせて21%、同世代の若年失業者は合わせて5.7%と約4倍の数字が出ています。この事はニートの一部の人は十分な教育を受けないまま、社会に放り出されてしまっていることを意味しています。誰もが立ちすくみ、つまずく事はあります。しかしそこからの再起を支援しなかった社会に問題はなかったのでしょうか。区長はニートの増加の社会現象をどう捉えますか。
 
 ニートの問題とイコールではありませんが関連して考えられることは、小中学校の不登校や高校中退の子どもの多さです。文部省の調査で、2004年度の小中学校の不登校の子どもは合わせて12万3317人、高校中退者は7万7897人と数年前のピーク時と比較すると減少するものの、約20万人近くが毎年、それぞれが抱える問題を改善されないまま、社会に送り出されている現状が見えてきます。大田区では2003、2004年と小学校の不登校の児童数はいずれも125人と2002年の148人から減少しているものの、中学校では2002年389人、2003年382人、2004年411人と増えています。
 
 これらの子どもたちに社会へ出てからたくさんの人とコミュニケーションしたり、挫折をのり越える力や多く人と理解し合う力をつけられる様な社会的支援をしなければニートと呼ばれる若者予備軍となってしまう事も予測できます。「子どもの権利条約」によれば自治体の義務としてこれらの子どもの権利を保障しなくてはならないはずです。現在不登校の子どもたちに対してどのような対応をしているのか、その子どもの立場に立った解決策はどのような事なのか、それによってどのくらいの子どもが中学校を卒業した後、社会に適応できているか把握していますか、おたずねします。学校では不登校だけでなくいじめや校内で暴れる生徒たちの諸問題も児童・生徒の心に向き合った解決が急がれます。今までどのように取り組み成果はありましたか。
 
 このような学校における児童、生徒の様々な問題には個人差があるものの、カウンセラーにまかせるだけではなく親、教師、まわりの大人、そして本人以外の児童、生徒が共通の理解で普遍的に取り組まなければ、ささいなきっかけから傷ついた心を取り戻すことはできません。私は2000年の定例議会で、CAP導入について質問、提案させて頂き、その後研修、PTA活動に活用されたと認識しております。それから5年、子どもを対象とした犯罪や親の虐待による子の死亡事件も増えてきています。大田区でも子育て家庭支援センターへの相談件数が昨年は約150件、今年はもうすでに180件を超えていると聞いています。
 
 5年経っても一向に減少することのないいじめ、不登校、虐待に対する日本の対応の悪さは国連の勧告で指摘されています。人とのコミュニケーションの方法を学びながら、解決方法を子ども自身で考えられるように促すCAPこそ今必要な手段だと改めて思います。子ども、教師、親別のプログラムのロールプレイで、いじめ、犯罪、虐待に対して、共通の認識を確認し、また自分の生きる権利を学ぶことで相手や他人の権利を知るようになるCAPを研修やPTA活動だけにまかせるのではなく、ますます問題が深刻化している子どもたちの生きる力を引き出すために、区は積極的に総合学習の時間等に取り入れる今こそ時期だと思います。新たな取り組みを検討してはいかがでしょうか。現在区は防犯カメラの設置、防犯ブザー、パトロール等で子どもの安全対策を講じています。これはこれで今となっては必要なことであるとは思います。しかし当事者である子どもが咄嗟に自分で判断できる事が大変重要です。子どもを取り巻く様々な問題を自分自身でどうしたらいいか考える事こそ、まわりにも目が配れるようになれる第一歩です。今親たちは犯罪がわが子に及ぶ事に不安を抱き、さらに子育てに対しても不安を抱えています。
 
 大田区の「次世代育成計画」は策定に向けて公募委員も入り全庁的に取り組まれた事、「おおた子育てすくすくプラン」には子育て中の親が安心して子育てできるような計画が取り組まれているなど、その点は一定の評価をするものです。この「すくすくプラン」の冒頭には区長名で「子どもと子育て環境の将来像」として「子ども自身の生きる力が発揮されている」と書かれています。「子ども自身の生きる力が発揮されている」とはどういう状況を指しているのでしょうか。
 
 「子どもの権利条約」批准国として、「条約」に書かれている子どもの権利を具体化し、子どもを権利の主体者としてとらえる事こそ子どもも責任ある、自立した社会の一員となり得ます。このプランの理念のひとつに「子どもの視点」がうたわれ、「次世代育成計画」でも中高生へのアンケートも実施されていました。しかしプランを実行するに当たり、子どもがどのように主体的に参加していくのでしょうか。その事がこのプランに明文化されていないし、見えてきません。
 
 子どもは教育や子ども関連の施設で意見を言えれば良いのでしょうか。(それすらこの計画では具体的に保障されていないと思います)子どもたちもこの大田区に暮らす人として何かをしてもらう立場ではなく「権利の主体者」として権利条約でうたわれている様々な場面に参加の保障をする必要があると思います。ここで確認しますがこの次世代育成計画は「子どもの権利条約」の理念を取り入れて計画がすすめられてきたものでしたね。「すくすくプラン」には子育てを親だけでなく学校や地域の大人たちもより深く関わり皆で支え合うことが書かれています。その際、当事者である子ども、子どもを支える親を始めとした大人がどれ程「権利条約」の内容を理解しているでしょうか。子どもに関わるすべての大人が権利条約を理解して同じ立場で関わる必要がありますが、今までに「権利条約」理解を広めるため、区として活動をしてきましたか、おたずねします。この事も国連からは広報活動が不足していると指摘されていました。
 
 多くの大人は「子どもの権利」と聞いただけで「子どもがわがままになる」「権利のはきちがえを心配する」「権利だけがひとり歩きする」と眉をひそめます。また「権利は義務を伴う」と権利と義務をひとつに考えてしまう、まちがった考え方が広がっている事実もあります。ここである法律の専門家が「権利」「義務」「責任」について法学的定義で語られたものがあるので言わせて頂きます。法の定義では「権利とは、一定の利益を請求し、享受することを法の規範によって認められた力」「義務とは、法の規範によって課される拘束または負担であり必ず権利と対になっているもの」「責任とは義務違反に対して強制がなされまたは不利益(制裁)が課されること」として権利と義務は表裏一体の関係で、権利の中に義務があるものではない。ある人に権利があるということは、それに対応する義務を相手方が負っているということである。例えば、子どもは親に対して学校に通わせてもらう権利があり、親は子どもに対して学校に通わせる義務があるというように、一つの行為に関して権利と義務をその人たちで分かち合う対抗関係のような関係にある。従って一人の人が一つの行為に対して権利と義務の両方を持ちうることはありえない。権利と義務は相互に持ち合う関係にある。どこまで権利があるかという問題は、「権利の限界」という形で考え、権利に対する限界は他の人が持っている権利によって画されるもの、と言っています。
 
 このように子どもは「権利条約」で掲げられている権利を要求することができ、国や自治体はそれをすすめる義務が、大人にはそれをサポートする義務があるわけです。ですから何もかも子どもが権利を主張し、それを認める事とは全く違うものです。例えば条約の「子どもは意見を言う権利がある」事に対しては、学校や行政はあらゆる場面に仕組みを作り、大人は子どもが意見を言える場を作ることが義務なのです。このような認識をすべての子どもや大人が同じレベルで持たなくてはなりません。今からでも遅くはありません。「子どもの権利条約」をすべての機関が理解できるように進めていくべきであり、自治体の責務だと思いますが見解を伺います。
 
 そして区内のすべての機関が子どもを「権利の主体者」としてとらえ、「子どもの権利条約」を基本に施策や地域活動に反映させる事こそ子どもが生き生きと輝いて育つ事につながると思いますがいかがでしょうか。子どもは地域社会を構成する大事な一員です。子どもも大人も「子どもの権利条約」を学び認識し、子どもが社会の構成員である事を明確にして、意見表明できる保障を確実にしていく事が、この条約を批准した国の自治体の条約で謳われている役目です。その意味でも大田区で「子どもの権利」を保障する「条例」の制定に向けた検討をスタートすべきと考えますが、見解を伺います。
 
 今私たちの暮らす社会は、子どもが生き生きと暮らせる社会になっているでしょうか。子どもを取り巻く社会状況もさることながら、子どもたちの状況も年々深刻になってきています。大人に成長するまでの過程の子ども時代を生き生きと暮らせた実感こそ、その後の社会を生き生きとしたものに作れるか左右するものだと思います。子どもが生き生きと暮らせる実感は、自分が認められた実感がある事です。これは大人でも同様ですが、認められた実感の積み重ねこそ大切です。だからこそ今子どもの存在価値を保障する「子どもの権利条約」を子どもも大人も理解し、それを多くの場面で誰もが等しく共有できる「条例」が必要であり、「権利」を多くの大人が認識する事で援助の必要な子どもに総合的に対応する事をきちんと条文化する必要があるはずです。ここ2〜3年ますます深刻になっている子どもたちの状況を踏まえ、各自治体で「子どもの権利条例」をそれぞれ制定してきています。先に条例化した自治体では子どもが様々な場面で参画した事により、大人と子どもには大きな意識のずれがあることや、錯覚がある事がわかったり、なにより子どもたちが参加し意見を言えるようになったことは「自分たちが認められた」で社会の一員としての満足度が条例化前15%が90%を超えたというアンケート結果があるそうです。また条例化によってすべての関係機関が「条約」で認められた権利を尊重する事の合意がとりやすく、施策に反映させる事ができるようになり、より豊かなまちづくりがすすめられている実感がある。また条例を作る事で子ども施策を総合的に見る視点の切り替えができたなど自治体職員の感想がありました。
 
 最後に最近見た子どもの作品展で発表されていた子どもたちが自分たちで書き込みした"今まで一番うれしかったこと"と"いやだったこと"の一部をご紹介します。
 
 うれしかった事"サッカーでほめられた""ピアノで花マルいっぱいあった""友達にサイコーの友達と言われた""笑ってくれたとき""テストで100点とった""ママにステキと言われた""野球でヒットが打てた""自転車の立ち乗りができた""お手伝いでほめられた""友達ができた"。
 
 いやだった事"約束をやぶられた""無視された""悪口""キエロと言われた""字がへただネと言われた""ひとりぼっちになった"などまだまだたくさんありました。
 
 大人からすればほんとにささいな事が子どもを喜ばせ悲しませるのかわかります。私は価値観が多様化した大人社会の中で、子どもが振りまわされることなく「子どもの生きる権利」を社会が支え合う事を約束し子どもも様々な場面で意見が言え、議論の中に入る事を約束する事で自立したひとりの社会人として成長し、次の世代を支える大人に成り得ると確信しています。そのためにぜひ「子どもの権利」を保障した条例化を大田区で進められる事を強く要望します。私は大田区に暮らすひとりひとりが社会に参加している意識を持ち、考えより暮らしやすいまちにしていける将来を期待すると共に、そのためにも子どもたちにそのチャンスを作り、大人と子どもがお互いに甘えることなく共にパートナーとなれる社会ができる事を条例制定でより確かなものになると確信していることを再度申し上げ、区長の強いご判断とリーダーシップで前向きなご答弁を期待しつつ質問を終わります。
 
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