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くれよんくらぶ800号
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新聞を読んで
"顔が見える役人"降格・退職なぜ?藤原 智美 |
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東京新聞 2006年4月16日付
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| この国の主権は国民ではなく、政治家ですらなく、役人ではないか、と日ごろから疑っている私だが、その役人というのはとかく顔が見えない存在で、いつもいらだたしい思いがする。珍しいことに、「負け組みでいい」(4月7日朝刊)では、文科省のエリート官僚、寺脇研さんが堂々と顔をだし、取材に応じていた。その1ヶ月ほど前には『「マネジメント」必要』(3月4日朝刊)と題された記事で、文科省の「屈指の優秀な官僚」といわれた岡本薫さんが持論を展開している。どちらも主たるテーマは「ゆとり教育」だ。この2つの記事を並べて読み比べると、お役人がどんなことを考えていたのか、その立場、時期で180度違っていて興味深かかった。 |
| 2005年に前面見直しとなったゆとり教育だが、大きなきっかけは、その前年に発表された経済協力開発機構(OECD)の国際学力到達度調査の結果だった。数学的応用力が6位、読解力は平均並みの4位という期待を裏切る結果がセンセーショナルに伝わった。 この調査結果を、ゆとり教育批判と結びつけていいのかどうか、異議をとなえる職者もいる。今回の調査は主に応用力や読解といった暗記や単純な計算力では解けない問題が出題された。応用力は以前から日本の生徒は不得手だった。学力が低下したのではなく、基礎学力を使いこなせない現実が露呈しただけだという厳しい意見もある。けれど、その得意なはずの基礎学力も、格段に落ちているというのは実態で、幻想ではない。私はそういう声を、先生たちからしばしば聞いた。 |
| 岡本さんはどうやらゆとり教育の反対派らしい。「言葉の定義を決めないで議論しているのが根っこの問題。授業時間を増やすのは実はゆとり教育でしょ。だって詰めこまないってことですから」という。なるほど確かにその通りである。ゆっくり教えるためには土曜日など休んでいられないし、子どもを塾に追いやるよりいいのかもしれない。一方、「脱偏差値」を掲げて業者テストを廃止し、「いじめがつらくて命を絶つぐらいなら、学校に来なくていい」とまでいいた寺脇さんの言葉の重みはそれが官僚であるだけに胸を打つ。その寺脇さんは異例の部長から課長級への降格で、優秀な理論家であった岡本さんはなぜか退職。不可思議でとらえどころのない官僚という組織の生態学を、解き明かしてほしいものだ。(作家) |
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*この批評は最終版を基にしています
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