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くれよんくらぶ908号
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人とかかわる力育てる
表現力の訓練をする
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東京新聞 9月17日付
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| 今月4日、岡山市の小学校で、新学期の係決めを巡ってトラブルとなり、小6男児(12)が同級生(12)をナイフで切りつける事件があった。子どものコミュニケーションが低下していると指摘されて久しいが、キレない子にする処方せんはないのか。
(岩岡千景) |
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| キレない子にするには |
| 事件は、2学期の係を決めていた学級活動の5時間目に起きた。2人は同じ「お助け係」になり、話し合って口論に。加害児童は折りたたみ式ナイフ(刃渡り6.7cm)で、衝動的に被害児童の左脇の下を切りつけた。 |
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| 埼玉県のある小学校では、6年生の学級で、この事件について話し合った。「なぜこうなったと思いますか」。担任の増田修治(48)が尋ねると、こんな答えが返ってきた。「2人はもともと仲が悪く、係決めをきっかけに爆発したのでは」「被害児童が加害児童に何か嫌なことを言ったのだろう」。では、自分が同じ状況に置かれたら、どうしたらよいか。29人のうち22人が「口でやめてと言う」と答えた。その一方で「ナイフは持ち出さないが、自分もぶつとか、やり返したいと思うかも」と加害児童の心情に理解を示す子も同じぐらいいた。 |
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| 増田教諭は「今の子は、思ったことと行動が直結しがち。日常的にイライラ感も抱えている」と、現代っ子のコミュニケーションのぎこちなさを語る。そして「今回の事件を人ごとではないと思った教師や親も少なくないだろう」。 |
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| 相手の話を聞く |
| コミュニケーション力の低下がいわれる中、子どもに人とかかわる力を育てる活動をするグループがある。母親でつくるNPO法人「JAMネットワーク」(横浜)は、そのための力を「じぶん表現力」と名付け、幼稚園や小学校で講座を開催。「自分のウリ(長所)を書き出す」「丁寧な頼み方で言う」など、米国の学校や家庭の方法を取り入れた訓練法を紹介している。 |
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| 「表現力はもはや意識して育てないと」と代表の高取しづかさん(52)。子どもが楽しめるようにさりげなく生活に取り入れるのが大事という。「人と関係を築く基本は、相手の話を聞くこと」と話し、テレビを消してラジオを聴くことや、絵本を見せない童話の読み聞かせなども勧める。高取さんと増田教諭が共通して指摘するのは、「最近、親が子どもとする会話が、早く寝なさい、勉強しなさい…と命令や注意ばかりになっている家庭が多い」現実だ。高取さんは「日常的に命令に従うコミュニケーションを繰り返していては、子どもに考えて話す力も、人とかかわる力も育たない。まずは親が、子どもとのかかわり方を見直してみてほしい」と語る。 |
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| テレビやゲームから離して |
| 『子どもの社会力』(岩波新書)の著書がある門脇厚司・筑波学院大学長 |
| 子どもが同級生や家族を刺したりすることは、今や都会や地方の別なく、どこでも起こりうる。背景にあるのは、人が人とつながり社会をつくっていく力、社会力の低下だ。社会力を回復するには、子どもをできるだけテレビや携帯電話、ゲームから離し、人と接する機会を増やすことだ。親や教師だけでなく、おじいちゃんやおばあちゃん、地域の人など周囲の大人が、子どもに「教える」という形ではなく、語りかけ、子どもからの問いにも反応してあげてほしい。 |
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| ふぼれん事務局長 菅野司のコメント |
| 人と関わる力とコミュニケーションについて |
| 記事全般は「人は人を育て、変えることができる」ということを前提にして構成されています。しかし、最近の人材育成に関する雑誌には「人は人を育てることはできない」という記事がよく目に付くようになってきています。ボクも長い活動を通じて「人は人を育てることはできない」と強く思っている一人です。人の話やアドバイスから「気づく」ことはさまざまありますが、やはり自分自身の変化は自分自身の「内面からの気づき」なのだと思うのです。サブタイトルの「相手の話を聞く」ということは、オトナでも非常に難しい事柄です。なぜならば、「聞く」という作業の工程には、「相手の話を聞く」「聞いた話を考え、理解する」、さらに「自分の考えとどう違うのかを考える」「自分の考えを、まとめ披露する」などいう工程を短時間で行うことが同時に求められるからです。それぞれ、自身の「相手の話を聞く」ということを振り返ってみるとよく理解できると思います。 |
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| 「最近の子」はという単語もよく目に付きます。「最近の子」と「以前(昔)の子」との最大の環境的な違いは「地域や学校での集団遊びの喪失」といえます。子どもたちは子ども集団の中で、社会的ルールや目上や目下への対応などを「ゆたかな遊びを通じて」学び身につけてきました。大切なことは「子ども同士のゆたかな遊びを通じて」ということなのです。「コミュニケーション能力」は、「相手と話すこと」や「相手の話を聞く」ことを通じて育つのではありません。子どもたちは、子ども同士の集団での遊びの中で思考し、創造し、協力し合う関係の中で、コミュニケーションの力をつけていきます。オトナたちはもっと、子どもたちの本質をつかんでから議論すべきです。 |
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| いま起きている子どもたちのさまざまな問題は、「オトナがどうこうする問題」ではないのです。少し子どもたちの問題をかじると、「親が子どもとのかかわりを見直す」とか、「『教える』という形ではなく、語りかける」となりがちですが、そうでないことを、関係するオトナたちはしっかり認識すべきです。余計なおせっかいは、かえって子どもたちのゆたかな成長を阻害していきます。子どもたちの問題は子どもたちのなかで解決できるよう、そのシステムを提供するのがオトナたちの役割です。例えをあげれば、学校の授業が終了したあと、どのような放課後を提供すればよいのか、そのことをもっと考えるとかです。 |
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| 文部科学省が打ち出した「小学校での放課後子ども教室」の方針も同様です。一生懸命に遊んだ経験のない文科省の役人が考えると、以下のような方針となります。「教員OB、大学生、地元住民」に子どもたちの放課後を「任せては」(勉強などの個別課題は別)なりません。「子どもの豊かな遊び」はかたてまでできるものではありません。小さいときから、子ども集団の中で思い切り遊んだことのない子どもたちを相手にするためには、熟達した経験と学習が必要です。いま一番求められていることは、子どもたちの放課後をゆたかに保障できる人材とその育成です。 |
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| 小学校の放課後利用(学童保育を含めて)は、一貫してふぼれんが掲げてきた主張です。しかし、それらのことに責任を持つオトナたちは、しっかりとした「遊びの達人」(公務員なくてもいいが、正規の職員)でなければなりません。文科省の方針に「元校長などの教員OB」との言葉があります。遊びのプロでもないうえに、「管理のベテラン」の校長などが担当したら、子どもたちは大迷惑です。いまの校長先生たちが、現在の困難を招いた責任の一角を占めているわけですから、その反省なしに、子どもたちを任したら、どうなるかは一目瞭然です。 |
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| コミュニケーションの力も含めて、子どもたちの生きるためのさまざまな力は、「子どもは子どものなかで育つ」です。そのことを、オトナたちはもう一度真剣に考えてみる必要があります。小学校の放課後利用、児童館のあり方の再検討、公園のプレーパーク化、そしてそれらを運営するための職員の配置(民間活力の導入、ただし正規常勤での配置が理想。公務員でない方が、子どもたちはゆたかに遊べる傾向にある)と研修制度など、検討する課題は多様にあります。それぞれの地域に、子ども問題を総合的に考える大人たちのネットワークをつくることこそ、いま第1に求められているのです。 |
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